老子道徳経の読み方【第一章】 現代語訳 前半 紹介 ◆日本道観出版局◆
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早島天来著 『定本「老子道徳経」の読み方』
第一章 現代語訳『人の道は固定したものではない』前半を、ご紹介いたします。
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■「老子道徳経」第一部 人の道、天の道とは何か
一章 現代語訳前半 人の道は固定したものではない
一章は、全八十一章に一貫して流れる老子の思想を総括する最も重要な章である。この章を正しく理解するには、冒頭の「道」をどう解釈するかにかかっている。
道には「天の道」と「人の道」がある。天の道とは、老子が説くところの、小賢(こざか)しい人知の及ばない無為自然の道であり、人の道とは、儒教などが説く、いわゆる“べからず集”の道だ。
一章でいう道は、この「人の道」をさす。つまり「人が道と名づけた道は、天の道ではない。だから永遠不変の道ではない」と、老子はいっているのだ。
道徳にしても常識にしても、しょせんは人がつくったものだ。そうした人為の自己規範に縛られて、自分自身で苦しんでいるのが人間なのだ。
では、その自己規範は絶対的なものだろうか。答えは「ノー」である。たとえば、国や民族が違えば習慣も考え方も全部違ってくる。親子や職場の人間関係も同様で、親子の断絶というが、それは煎じつめれば育った環境や教育の差に過ぎない。
職場においても、世代による価値観の差はいかんともし難いものである。そこに気づかずに、自分の考え方を至上と思って相手に接すれば、断絶や衝突が起きるのは当然だろう。
人の道とは、このようにわずか数年の間にこれほど変わってくるものである。その最たるものが権力者による規範、すなわち法律といってよいだろう。「朝令暮改」とよくいわれるが、人為の規範がいかに移り気であるかを物語っている。
では、老子はどんな生き方をせよといっているのか。このことについてはおいおい述べていくが、要は無為自然の生き方、換言すれば、人為の道に 固執して自分自身を苦しめるような愚かな考え方を放かすことだ。自分の考え方が正論だと思えば、相手も同じように考えるのは当然だろう。
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